インタビュー|やなぎちゃん(前編)ピアノ遍歴と再開までの道のり、同僚にピアノを教えるようになるまで
タグ: #ピアノレッスン体験談, #大人
最終更新日時: 2023年10月30日
はじめに
お嬢シスによるピアノレッスンを楽しむ人へのインタビューです。
やなぎちゃんは、東北出身で、現在は東京で広報として働くアマチュアピアニストです。
現在会社の同僚にピアノを教えている彼女のピアノ遍歴や、音楽科への進学、そしてピアノを再開するまでの道のりについてお話しいただきました。
さらに、現在取り組んでいる難曲や、ピアノを教えることについても触れています。ぜひ、お楽しみください!
やなぎちゃんプロフィール
やなぎちゃんのピアノのnoteはこちら
インタビュー
3歳でピアノと出会い、8歳からレッスンに通い始め、音楽科へ進学したものの音大への進学はしなかった
今日はインタビューよろしくお願いします!まず、ピアノ遍歴を教えてください。
よろしくお願いします!
ピアノとの出会いは3歳でした。父が転勤族で、山形に引っ越したときに家にキーボードがやってきました。父が音楽が趣味で、ギターやクラリネットをしていたので、音楽に触れる機会が多かったです。
幼稚園のとき、どうしてもピアノを弾いてみたくて、友達がピアノを弾いているのを見て真似して弾いてみたところ、「教えてもいない娘がピアノの曲を突然弾きだした!」と母がびっくりして、習わせたほうが良いと思ったみたいです。それで8歳から、ピアノのレッスンに通えることになりました。
すごいですね!そこから、どのように成長していきましたか?
ピアノを始めて、小学校5年生のころには音楽科に行きたいと思うようになりました。
東北で唯一、国公立の音楽科のある高校があって、幼馴染のお兄ちゃんが通っていたんですね。音楽祭でピアノを弾いている姿を見て、わたしも音楽科に通いたいと強く思いました。
親と先生を説得して、小6から受験準備を始めて、高校生から音楽科に進学しました。
音楽科の受験勉強はどんなことをするんですか?
それまではレッスンで出される教材のトンプソンを弾いたり、発表会のときは自分の弾きたい曲をやっていました。
小4でショパンの「子犬のワルツ」、小学校高学年でリストの「愛の夢」とか。ちょっとだけ背伸びした曲が好きでした。
受験対策で初めて、ハノン・ツェルニー・ソナチネ・ソナタを山のようにやることになり…。ベートーベンの「悲愴」、「ソナタ5番」などの曲を弾き込みました。
でも、合間の息抜きで、タイタニックのテーマソングを弾いたりしていましたね。
音楽科はどのようなところですか?
音楽科は、ミニチュア音大という感じです。一般的な高校とは異なり、理数系の授業が途中からなくなって、音楽に特化した教育を受けることができました。実技試験があったり、コンクールを受けたりで忙しい高校生活でした。
音楽に囲まれながら学ぶことができる環境にいられたのはよかったです。
でも、音大に進学しなかった…?
はい。音大には行ってないんです。受験して、受かったけれど、行きませんでした。
「大学に行かなくても音楽はできる!」と思って。身近で音大に行ったけど中退した方がいて、その方がそう言っているのを聞いたのがきっかけですね。
「ピアニストになれないなら、音大に行ってもな…」と思ったし、当時、高校のピアノの先生から「君はピアノの先生や音楽の先生に向いてない」と言われていたんですよ。
同い年にすでに世界的に有名なピアニストとして活躍していた辻井伸行さんがいたりして、そんなふうにはなれないなと思ったし。あと、わたしは手が小さいんですよね。
高校の面接では、みんな「2歳からピアノ始めた」みたいな感じで、いわゆる英才教育的なことをされてきた人たちがわんさかいて、ピアノ歴マウントされたりして。周りとの学習歴にギャップがあるし、譜読みは苦手だし、ソルフェージュも苦手だし…。
でも、20歳くらいまでは個人的に習ったり、地元の音楽祭に出て演奏したりしていました。
上京を機にピアノから8年離れた
銀座でホステスとして働くことになったんですね。
そう、昼ピアノを練習して、夜に働くって感じ。でも、長くは続かなかったです。
睡眠時間が足りなかったし、リーマンショックもあって、お水は難しいと思って、今の会社に転職しました。
そこから、8年くらいピアノから離れた時期があって、数ヶ月に一回、家で軽く弾くくらいでした。
銀座のクラブのピアニストにはならなかったんですか?
銀座のクラブのピアニストの扱いはあんまりよくないんですよ。
音大の子がバイトでやってたりするけど、席に呼ばれてお酒を飲む羽目になったり、待ち時間は非常階段で待たされたり、1-2時間で次の店に移動したりしないといけないし。
好きな曲も弾けないし、音量も抑えないといけないかったり、リクエストに応えなきゃいけなかったりで、ストレスがたまると先輩に教えてもらいました。
21歳で今の会社へ入社されたんですよね。
はい。21歳のときに今の会社に入り、23歳のときにチャットボット事業に異動しました。
それからは非常に忙しく、家に帰って寝るだけの日々でした。4〜5年間はピアノに触れることはほとんどありませんでした。土日はひたすら寝るだけでした。
その時は、もうピアノを弾くことはないだろうと思っていました。
会社の忘年会でピアノを演奏したことがきっかけで、ピアノを再開
どうしてまたピアノを始めたんですか?
結構、しょうもない理由で。
親会社が毎年忘年会をしていて、ホテルの宴会場を借りて立食パーティーを開催していたんですね。それで、出し物は部署対抗や支社対抗だったり、ものまね芸人を呼んだり。それが、急に個人フォーカスになりました。
その時、会社の先輩が連絡をくれて。「ピアノで出てみたら?」と。
制限時間は1組5分で、準備期間は2ヶ月しかなかったです。
声をかけてくれた先輩はバイオリニストで、バイオリンの先生。生徒は日中学校に通っているため、コールセンターのバイトに来ていました。
ひとりで出るのもなあ…と、先輩に「一緒にやりませんか?」と声をかけました。「飲みの場だし、情熱大陸とか?」とダメもとで提案したら、先輩もなぜか乗り気になって。
社内でオーディションが行われ、本番に出ることになりました。どうせオーディションには落ちるだろうと思っていたのですが、意外にも受かってしまって。
優勝できたら、10万円もらえるんです(笑)
本番はどうでしたか?
人前でピアノを弾くなんて、本当に久しぶりすぎて。当日はクマのようにウロウロしていました。すごく緊張しましたね。
情熱大陸をバイオリンの先輩と一緒に演奏しました。とても盛り上がってくれたので、やってよかったと思います。
同じ部署の人たちがスマホを構えたりしながら、最前列で保護者のように見守ってくれていたのは、なんだか面白い光景でした。
今のピアノの先生、師匠との出会いは?
いまの師匠は、そのときの先輩に紹介してもらいました。
意外と余興の評判が良かったんです。チャットボットのことをやってる、Vivienne Westwoodを着ている人が、急にドレスで舞台に上がってピアノを弾いたらインパクトがあったみたいで。
「ライブやらないの?」みたいな声があがって、その先輩と一緒にライブをやってみたりして。もともと伴奏はあんまり好きじゃなくて、高校時代は断ってたんです。うまく合わせられないし、自分の練習で精一杯だったのもあって。
それで、先輩の伴奏を普段からやってる方を紹介されたのが、今の師匠でした。
バイオリンの先輩と飲んでいたら師匠が召喚されて、レッスンを受けることに。それから4年くらい見てもらっています。
山形の先生とは?
山形に行くきっかけがあれば、高校の先生にレッスンしてもらいに行ったり、一緒にご飯を食べたりしていますよ。
また、小さいころに通っていたお教室は、もうすぐ区画整理の影響でクローズするので、最終日のお教室の発表会にでる予定です。
難曲に挑戦する日々
今弾いている曲は?
現在はサン=サーンス/リストの「死の舞踏」をやっています。
他にもバッハの平均律、モーツアルトのソナタ第12番、メンデルスゾーンの無言歌から2曲を練習しています。
発表会では大きな曲を演奏し、その合間に軽い曲も取り入れています。
実はわたし、手が小さいのに打鍵が強いんです。瞬発力はあるけれど、バラードや歌ものなどのしっとりとした曲が苦手なんですよ。高校生の頃は、自分に合う曲ばかり渡されていたのもあって、ベートーヴェンやリストを演奏していました。
ただ「死の舞踏」は長さが12分もあり、ずっとフォルテシモなので、結構体力が必要です。あと3年経っていたら弾けなかっただろうなと思います。
演奏動画はこちら(Instagram)
発表の機会は?
師匠の門下生の発表会に参加しています。
発表会は、最初は小さい子から演奏し、その後は連弾や講師の演奏という流れです。池袋の自由学園で、ヤマハのフルコンピアノを弾いています。
師匠の発表会は、彼女がピアノのお稽古をしているオペラ歌手の方々が参加していて、7割が歌の披露ですね。ピアノだけの演奏者は1〜2人くらいです。
今持っているピアノは?
現在はローランドの電子グランドピアノを持っています。
ただ、弾く曲のレベルが上がっていくと、物足りなさは感じます。なので、ヤマハのアバングランドピアノが欲しいなと思っています。試弾したらタッチがとても良かったので。
後編へ続きます
この記事を書いた人
©️2023 お嬢シス